関東大震災時における朝鮮人虐殺について
ここ数年、関東大震災が起きた9月1日あたりになると、一部の反日マスコミや在日の方々が「朝鮮人虐殺」を持ち出し、日本は歴史を直視せよと大騒ぎをしています。
朝日新聞、毎日新聞、赤旗は常連ですが、一番力を入れているのが極左中の極左、神奈川新聞。
ヘイトスピーチと在日差別専門ライターの石橋学ですね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180902-00029083-kana-l14
東京新聞 関東大震災95年 歴史と向き合う
朝鮮人虐殺、都知事追悼文なし
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018090202000121.html
歴代知事が毎年送ってきた追悼文を、昨年から二年連続で小池知事が送らない事を、朝鮮人虐殺の事実の隠蔽だと激怒して大騒ぎしているわけです。
私は、彼等マスコミや活動家の主張をこの一週間で目を通して来ましたが、「何の罪もない無実の朝鮮人に対し、軍と民間人が結託し、意図的に朝鮮人の犯罪のデマを流した上、震災の混乱に乗じて差別心から大量虐殺を行った」という主張でした。
これが全て真実であれば、確かに問題があります。
しかし、もし虐殺を叫んでいる彼等の主張に確たる根拠や証拠が無く内容に嘘があれば、これは日本人に対するデマによる差別であり、日本民族への最悪のヘイトスピーチになります。
特に6000人以上の被害者数について、北朝鮮側では4倍近くの2万3000人余りの虐殺と認知されているようで、このまま放置すると、慰安婦問題と同じく国際的な問題になっていくと思われます。
https://www.google.co.jp/amp/s/www.zakzak.co.jp/soc/amp/180903/soc1809030011-a.html
虐殺数については、既に多くの方々が完全論破されていますので、別記事の資料集にて提示させて下さい。
私は、なぜ虐殺が社会問題として大きく取り上げられ、このような騒動になってきた背景を検証してみようと思います。
以下は、朝鮮人虐殺についての時系列の流れです。
時流を理解しやすいように、赤字で朝日新聞の不祥事・捏造報道を重ねてみました。
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1947年3月1日
在日朝鮮人連盟中央本部によって、関東大震災犠牲同胞慰霊碑が建立 (現千葉県船橋市立馬込霊園内)
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虐殺の犠牲者6300余名の記載
1970年4月
朝日新聞の広岡知男社長が、記事「中国訪問を終えて」で約1000満人虐殺した文化大革命を賞賛
1970年10月
朝日新聞の広岡知男社長が、新聞協会主催研究会で「中国の意向に沿わない記事は書かない」と明言
1971年8月
本田勝一が「百人斬り」「万人杭」等、日本軍の残虐ぶりを印象付ける捏造コラム「中国の旅」を31回連載
1971年12月
「祖国選んだ九万人 一切保障された職と生活」と北朝鮮を称える捏造記事
1971年12月
「指導者 現場で大衆に学ぶ 統一の祖国を次の世代に」と北朝鮮を立てる捏造記事
1973年9月
関東大震災朝鮮人犠牲者行事実行委員会により
追悼関東大震災朝鮮人犠牲者碑が建立
(東京都墨田区横網町横網公園内)
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虐殺の犠牲者6000余名の記載
1974年
横浜市の久保山墓地に民間人石橋大司により
「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」が建立
1975年4月
中国共産党の支援で民衆300万人以上を虐殺したカンボジアのポル・ポトを「アジア的優しさ」と捏造報道
1982年
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会 発足
1983年9月26日
関東大震災朝鮮人虐殺記録映画
「隠された爪痕」公開
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犠牲者6500名以上と説明
1984年10月
毒ガス作戦を捏造
1985年8月
朝日新聞の加藤千洋が靖国参拝をご注進報道
これがきっかけで中国が初めて靖国参拝に抗議
1992年7月
書籍「風よ鳳仙花の歌をはこべ : 関東大震災・朝鮮人虐殺から70年」関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会編 出版
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犠牲者6000人の記載
1993年
社会教育団体「グループほうせんか」設立
1994年7月
チマチョゴリ切り裂き事件を、日本人が犯人かのように積極的に報道 後に朝鮮総連と朝日新聞の捏造だと、元朝日新聞記者により暴露される
2009年9月
東京都墨田区八広の荒川堤防下に「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」が完成
2010年
「一般社団法人ほうせんか」設立
2014年5月
「関東大震災時の朝鮮人迫害―全国各地での流言と朝鮮人虐待」出版 山田昭次著
2016年9月
「関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言」出版 西崎雅夫著
2018年8月
証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人 (ちくま文庫) 出版 西崎雅夫著
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朝日の記事を見ると、反日の盛り上がりの気運が手に取るように分かりますね。
1923年の大震災発生から半世紀の50年間全く無視されていた朝鮮人虐殺が、突然1972年に横綱公園に碑が建立され、
1982年12月に「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」が発足されてから、急速に広まってきたのが分かります。
従って、この会の活動家の背景や運動の経緯、主張の真偽が朝鮮人虐殺が真実であるかの検証に繋がる考え、調べてみました。
「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」初代代表 故絹田幸恵氏
絹田氏は足立区の小学校教師で、1977年頃、生徒と共に荒川放水路の歴史を調べている際に、浅岡重蔵という老人から関東大震災の時に川の堤防の下で多くの朝鮮人が虐殺されたという話を聞きました。
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【絹田氏が聞いた証言の内容】
浅岡重蔵の話
「四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、10人ぐらいずつ朝鮮人を縛って並べ、軍隊が機関銃で撃ち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路直上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして橋の下手のところに3ヶ所ぐらい大きな穴を掘って埋め、上から土をかけていた。
2~3年たったころ、そこはくぼみができていた。草が生えていたけどへっこんでいた。きっとくさったためだろう。ひどいことをしたもんです。いまでも骨が出るんじゃないかな。兵隊がトラックに積んで、たくさんの朝鮮人を殺したのを持ってきました。そう、河原で殺したのもいます。ふつうのなんでもない朝鮮人です。手をしばって殺したのも日本人じゃなくて朝鮮人だと思ったね。
むこうを向かせておいて背中から撃ったね。軍隊が機関銃で撃ち殺し、まだ死なない人は、あとでピストルで撃っていました。水道鉄管橋の北側で昔の四ツ木橋寄りに大きな穴を掘って埋めましたね.死体は何百だったでしょう。本当に ひどいことをしたもんです」
追悼する会編『風よ鳳仙花の歌をはこべ』
(1992年)より引用
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軍が民間の朝鮮人を縛って機関銃で撃ち殺すなど、にわかに信じがたい内容ですが・・・
結果として、後にこれが引き金となり、朝鮮人虐殺は日本や韓国で語られ始める大きなきっかけとなります。
1982年、絹田氏は、当時旧中川の河川対策が大きな問題となっており、報道番組でとりあげていたNHKを頼り、荒川放水路調査の一つとして川に詳しい人を教えてもらうためにNHKのディレクターの平塚千尋を尋ねます。そして、元・江戸川区議会議員の高野秀夫を紹介されるのです。
〜高野秀夫略歴〜
15歳で共産党入党、最年少党員として、高校生で既に全国に名を知られた。25歳の時、全学連書記長として砂川闘争を指揮。反主流「構造改革派」の雄として50年代後半の運動を指導。
29歳で離党、31歳で江戸川区議に初当選、その後16年間区議として旧中川の治水対策、在日朝鮮人の夜間中学設立運動、とくに日本化学工業が引き起こした猛毒の六価クロムによる土壌汚染問題に先頭となって取り組む。1983年入水自殺。享年51歳。
高野秀夫は、筋金入りの元共産主義者で、構造改革派の運動家の経験を持ち、在日朝鮮人に近しい人間だったようです。絹田氏は四ツ木橋河原での虐殺の話を伝え、高野は遺骨の調査を提案します。
同年6月13日、高野の呼びかけに応えて「絹田先生を囲む会」が開かれ、同7月18日には「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」準備会が80余名で発足。仮代表は山田昭次。
今話題の関西生コンとも連帯してました・・・
https://fujisosho.exblog.jp/14320358/
犠牲者の追悼というよりも、反日色全開のこの会に設立と同時に入会してきた大学4年生が、現一般社団法人ほうせんかの理事、西崎雅夫です。
これらのメンバーで、1982年9月に最初の追悼式と河川敷の遺骨の「試掘」を行ったのですが・・・
朝鮮学校の生徒などがビデオカメラを回しながら記録し、掘り過ぎるくらい掘りましたが、残念ながら遺骨は発見されませんでした。
しかし、翌1983年には韓国人監督によるドキュメンタリー映画が公開されます。
遺骨発掘失敗の腹いせか、近所に住んでいた曹仁承という在日や老人達の証言の寄集めで構成された「隠された歴史の真実はやはりあった!」という信憑性に疑いしかないトンデモ記録映画です。
まるでTBSの徳川埋蔵金のような匂いが・・・
この証言のみを証拠としたプロパガンダ映画は、日本や韓国で上映され、社会認知されていく事になります。
この後、西崎雅夫は証言ばかりを中心とした胡散臭い著作を出版し続けますが、小池知事が朝鮮人虐殺に追悼文を送らない事からか、先月も新しく証言集を出版しています。
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■「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」について
「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の歴代メンバーを見てみますと、
全国的に有名な共産主義者であった高野秀夫
反皇室・親朝鮮・反日極左である山田昭次
韓国民団新聞のお抱えライターの西崎雅夫
この面子を見ただけでも、どう見ても偏りがあり過ぎて、公平な目線での歴史事実の検証は困難だと誰でも分かるはずです。
高野は、会発足翌年に亡くなっていますが、山田と西崎は発足時から現在まで活動中で、西崎は教師を2003年に退職し、もう15年この虐殺ネタ一本で生活しております。
立教大学名誉教授山田の研究内容は・・・・著作内容を見れば一目瞭然ですね。
ご覧のように、82年以降からずっと朝鮮人虐殺、強制連行、日本の戦争責任をライフワークにしています。自虐史観を遥かに超える朝鮮ベッタリで、日本と日本人への怨念さえ感じる研究の半生ですね。
立教大学は香山リカといい、学長も韓国人になりましたが、日本人の為の大学では無いのでしょうか。
◼️証言はいくら集めても証言に過ぎない
さて、遺骨を掘り起こすはずが見つけられなかった西崎は、むきになって証言の掘り起こしを始めました。
10年にわたって、150人の人々の証言を集め、一冊の本にまとめたものが、1992年の『風よ鳳仙花の歌をはこべ』です。
遺骨すら分からぬ虐殺された6000人って、証拠がないのを自白して馬鹿丸出しですよね。
西崎は、東京の公立図書館で資料をさがし、四年間で数万冊の本を閲覧したと東亜日報のインタビューで発言しています。仮に一万冊としても、毎日8冊の本を確認した事になりますが・・・
とにかく、現在では150人の証言が10倍近い1100件にまで激増しているのです。
前回10年もの間調べあげて150人だった証言が、たった4年で10倍近く集まるなんて考えられますでしょうか。
西崎さん、日本人に聞いて来た証言ですか?
裏を取らずに、ただ証言を垂れ流した南京捏造の本多勝一みたいな真似をまさかやってませんよね?
まあ、この証言の数だけは千歩譲って認めるにしても、証言は証言以上の価値はありません。
口では何とでも言えますからね。
証言があるからと言って事実になるならば、嘘つき慰安婦と同じで、誰が何を言っても謝罪して賠償しなくてはなりませんからね。
そして、そんな証言だけをとにかく集めまくる割には、反体側の証言は全く採用してくれないのです。
こんな不公平で偏った史実の検証に価値があるとは到底思えません。
◼️西崎・山田の主張は矛盾だらけ
西崎や山田は、遺骨が見つからなかったのに、四ツ木の堤防下で百人以上の虐殺の事実があったのだと主張します。
しかし、虐殺そのもの根拠は周囲に住んでいた在日などの老人の証言のみであり、しかも被害者が百人以上という具体的な数字の根拠が、なんと新聞記事だったのです。
この遺骨掘り起こしについて、虐殺被害者のものだという公式記録は一切存在しません。
朝鮮人の遺体ではないかという憶測であり、新聞記事報道に過ぎないのです。
仮に遺体があったとしても、単純に震災の犠牲者の遺体の可能性もありますし、虐殺被害者を確定出来るわけもありません。
西崎と山田は、「朝鮮人が毒を入れようとした」「朝鮮人が強姦した」「朝鮮人が放火した」と流言蜚語のデマが新聞で流され朝鮮人は虐殺されたと主張しながら、自分達に都合の良い主張の裏付けには都合よく新聞記事を提示し、虐殺を勝手に認定していたのです。
警察や新聞が流言蜚語を拡大したわけだよね。
なのに、新聞の報道で経過を追って来たんかい。
おっさん、新聞記事はデマじゃなかったんかい。
新聞の報道や司法省の文書には合致している物も多く、朝鮮人による殺人、強姦、放火、爆弾所持、飲料水への毒物混入未遂などの記録が具体的に残っています。
にも関わらず、記事に基づく反対意見については全く認めず、自分達に都合良い記事や証言のみを採用するとは、何たるダブルスタンダードでしょうか。
第一、遺骨も発見されず、どこの誰が亡くなっているかも分からないのに、亡くなった人がいるかどうかなど分かるわけがないんですよ。
■四ツ木の現場で一体何が起こっていたのか
西崎の発言の裏を取る為、他に四ツ木で起こった事件の記録が無いか調査したところ、以下の記述が見つかりました。
「大正大震火災誌」1925年警視庁発刊 P448
流言の発生及び其の原因についての章で、警視庁調査による流言についての記載部分です。
9月2日午後5時「朝鮮人百十余名が寺島管内四ツ木橋附近に集まり、津波が来るぞと連呼しながら凶器を持って暴行を働き、放火をしているものがあった」との内容です。
そして、虐殺事件があったと言われる同じ場所で起きた四ツ木の朝鮮人による輪姦殺人事件の新聞報道がありました。
大正12年10月21日の読売新聞より
この事件には新聞記事以外にも、司法省の『震災後に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書』に記録が存在し、根拠のない朝鮮人虐殺などよりも事実認定に相応しい事案だと思います。
9月2日17時頃、朝鮮人が四ツ木橋界隈で暴れていた噂。
9月2日22時頃、強姦殺人があった報道と司法省の記録。
当時、不逞な朝鮮人と衝突していた自警団の活動。
これらの客観的な事実から、私は、読売新聞記事の百数十名の鮮人遺骨の内容や、浅岡重蔵の何百の虐殺の話は、この流言飛語が派生した結果、衝突で亡くなった犠牲者の情報と混同した物だと想定する根拠になり得ると思います。
これらの経緯を見ても、彼らの活動の主体となっている四ツ木の朝鮮人虐殺については確たる証拠が一切存在しません。
虐殺された朝鮮人の名前も、そして人数さえも明らかになっていないんですよ?
遺骨のたった一つも発掘していないにも関わらず、
このような、全く実態も実績も無い無茶苦茶な名称を今日に至るまで名乗り、継続して活動している事は、日本人に対するヘイトスピーチそのものではありませんか。
証言と新聞記事のみの憶測で虐殺問題を歴史的事実として喧伝し、本を出したり講演会をしたりして暮らしている西崎や山田は、慰安婦問題における植村隆と全く同じ国賊と言えると思います。
この会によって墨田区八広の荒川堤防下に設置された「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」を、根拠無きものとして撤去すべきと声を上げねばならないと思います。
◼️結論
様々な資料を確認した結果、私の中で次の結論に至りました。
・差別による6000人のジェノサイドは無かった
・震災に乗じた多数の朝鮮人の犯罪があった
・激昂した日本人による朝鮮人への反撃はあった
・流言蜚語により日本人や朝鮮人が亡くなった
司法省の資料により、朝鮮人の犯罪があったのは動かしがたい事実です。
そして、大震災の惨状の最中の卑劣な行いに対し、激昂した日本人との間で内戦状態になったのが真実だと思います。
誰もが絶望する中、外国人が強姦や強盗、放火を働けば、その土地の民族が決起し、自分の家族を守るために闘うのは当然でしょう。
根拠のない6000人のジェノサイドをいくら叫んだところで、 外国人たる朝鮮人が、火事場に於いて行った残虐無比な非道を誤魔化す事は出来ません。
勿論、流言蜚語により無実の朝鮮人が犠牲となった事には、深く同情の念に耐えません。
しかし、朝鮮人だけではなく、日本人も同じく犠牲にあっていたのであり、民族ヘイトの虐殺などでは全くないという事実はしっかりと明言していかなくてはなりません。
根拠も証拠もない証言のみによる不当な日本人への糾弾は、膨大な怪しい解釈の書物、怪しい人物の講演会や行事の積み重ねにより、既成事実化されていきます。
違和感を感じたら、調べて適時反論していく。
小さな抵抗ですが、この当たり前の行動を私も地道に続けていきたいと思います。
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